川岛织物セルコン
オムロン京都太阳株式会社
岛津製作所本社
岛津製作所创业记念馆
実习先:京都府京都市
実习期间:2023年7月5日(水)~7月7日(金)
テーマ:京都公司の歴史と现在
目的(実习のねらい):
この実习では、京都の伝统产业に関わる公司や社歴の长い机器製造公司および障害者雇用に取り组む製造公司を见学し、どのように製造の现场や経営が展开されてきて今日に至ったかを学ぶとともに、その延长线上にある近未来のそれら公司の経営のあり方を展望する能力を身に付けることがねらいである。
実习报告:
以下では、见学した学生诸君の所感や注目した诸点および学んだことを中心に报告することにしたい。
(1)1日目(川岛织物セルコン)
まず、初日の7月5日に株式会社川岛织物セルコンを訪問した。川岛织物セルコンは1843年創業の老舗ファブリックメーカーであり呉服?美術工芸織物やインテリア?室内装飾織物の分野で事業展開している企業である。明治大学の駿河台キャンパスのアカデミーコモンにある緞帳も、川岛织物セルコンが製作したものである。今回の見学では緞帳やカーテンなどの製作過程や日本最古の企業博物館である川島織物文化館を見学した。
工场では职人が一つ一つ丁寧に作业を行なっているところを间近で见学した。実际に、织っている方を见てみると、足まで器用に使っており、技术面と集中力どちらも持ち合わせていなければできないと感じた。また1日で数肠尘や数尘尘ほどしか进まないものや2人がかりで4年もかかるものがあると闻いて想像していた以上の年月がかかっていることに惊いた。
製作过程の特徴として全工程を社内で一贯して行われていることが挙げられる。社内で一括管理して継承していくことで高い品质を保っている。継承されていることがらで「断机の训え」というものがある。1921年、宫内省へ収める予定で作られていた织物に製作途中で退色の兆しが発见された。あくまで兆しであり退色はなく製作継続が大半の社员の意见であった。しかし当时の社主は品质が保証できないものを世の中に出してしまうとご爱顾くださった方々に申し訳ないと织物にはさみを入れ製作を中止した。このような训えが今日まで継承されて、纳得のいく製品を常に追い求める姿势が継続されているのである。今回?実际にはさみの入れられた実物を见ることができた。见たことが无い社员の方もいるということで?非常に贵重な机会になった。
また川岛织物セルコンは環境に対する責任を重視しており、持続可能な経営を目指している企業でもある。エコフレンドリーな製品の開発やリサイクルに取り組むだけでなく、省エネルギーや廃棄物削減にも力を入れている。見学の際には染色に使った水を下水に流す時は京都の基準を大きく上回る値で処理しており、環境に配慮することを重視していると教えていただいた。このような環境への配慮が企業の価値観となっており、社会的責任を果たす取り組みを積極的に行っていることがわかった。
(2)2日目(オムロン京都太陽?岛津製作所本社および三条工場)
①オムロン京都太阳
2日目午前のオムロン京都太阳の公司访问では、社长や工场の案内を通してオムロン京都太阳の概要や身体障害、知的障害、精神障害のある方々がどのように働いているのかを知ることができた。
ふだん障害を持っている方々と接する机会が少ないため、障害を持つ人たちのことを考える机会に触れる経験が乏しかった。しかしこの见学で、健常者にとっての当たり前は障害のある方にとっては当たり前ではないことや、健常者にとっての単纯作业も障害のある方々にとっては、とても困难な作业であるという事実を肌で感じた。
见学の前までは?障害がある方が働けるような作业を探すのが従来の障害者就労支援という认识でいた。しかしオムロン京都太阳では、さまざまな障害がある方たちにどのようなアシストをすることで健常者と同じように働けるかを考え、それを実现できるような仕组みや机械を作り、取り入れていた。この考え方と姿势は「働く人を主体として环境や条件を整える」という施设の方针からきているそうだ。
访问の际に、これまでの人生で社会保障や周りの方々に助けられる人生であり、これからは自分も社会の一员となり日本経済に贡献しているという、いわば帰属意识が障害者の方々のやりがいであり、モチベーションであるという言叶をうかがった。
近年は础滨化や顿齿化が进む中で人间の働く必要性や意味について频繁に议论されているが、この访问を通して、働くことを通じて?よりよく充実した人生を送るヒントをもらうことができたと思う。
②岛津製作所
2日目午后の岛津製作所の本社?叁条工场の见学では、岛津製作所の主な事业である分析计测机器、医用画像诊断机器、产业机械、航空机器のなかでも?分析计测机器、医用画像诊断机器を実际に见ることができた。人々のニーズにあった医疗机器を製造していくことで、社会的役割を果たしている公司の姿势に感铭を受けた。
また、実际に医疗机器を使用することを想定して、医疗机器の移动や操作においてたくさんの工夫が施されていることを実感した。具体的には、回诊业务を効率的に行えるように狭い场所でも楽に医疗従事者が移动させることができる机器を设计し开発していた。施设内には多数の製品が展示されており、実际に医疗関係者などが、今回见学させていただいた本社のサイエンスプラザ、メディカルセンターなどを访れるとのことである。その製品の仕组み、性能に関しては高度に専门的な内容であった。製品の価格に関しては、1000万円から1亿円を超えるものまであり、岛津製作所の技术力の高さを感じた。また、それらの机器を実际に触ることのできる机会もいただいた。
海外事业に関しては、世界の他地域に事业部を备えており、新しい需要をグローバルな视点からいち早く読み取ることが可能な态势となっている。今后はシェアの低い北米製薬市场への进出を视野に入れているという。分析机器などにおいては研究开発力を駆使し、幅広い用途での製品を提供しており?また多品种少量生产でもあり、さまざまな需要に対して柔软に製品开発をすることが可能となっている。
「科学技术で社会に贡献する」という社是を社员の方がしっかりと理解しており、心掛けながら日々の业务に取り组んでいるという。そういう姿势が?多くの挑戦につながっているのではないかと考えることができた。
(3)3日目(岛津製作所创业记念馆)
最終日に訪れた岛津製作所创业记念馆では、島津製作所創設者である初代島津源蔵と2代目源蔵の創業期の考えと試みの歴史を学んだ。島津源蔵は、京都の中でも高瀬舟の終着地点として栄えていた木屋町に本店を置き、これが島津製作所創業の地であり、現在の創業記念資料館の位置する場所である。
当時その地域は先端技術の集積地であった。というのも、学校が多くあり、学生達の若い力の恩恵を受けられるためである。先端技術といっても、その頃は海外技術の 模倣品ばかりで、徐々に技術開発を進めていき売上や業績も逓増していった。
事業分野は次第に拡がりをみせ、医療分野での取り組みのなかで人体構造の把握が進んでいたため、 有数のマネキンメーカーとしても展開した。一貫して「科学技術で社会に貢献する」という理念のもとに、いくつもの有用な医療機器の発明に成功した。
以前使用されていた医疗机器も见ることができて、现在の医疗机器が目覚ましい発展を遂げていることを感じた。その结果として、実际の医疗现场において、医疗従事者が役に立つ?使いやすい机器が导入されて社会の医疗水準が向上しているのだと思った。事前の学习では?研究面における他社との违いを认识することができなかったが、施设见学を通して创业者の考えが现在まで変わることなく引き継がれているということに强みがあると感じた。
さまざまな研究作品が残されていたが、多くが学校や国に提供していたものであった。幅広い领域からの依頼を断ることなく受け、社会の発展に贡献するという想いを持っていたからこそ现在の高い技术力につながっているのではないかと思った。また、今までの研究を目に见えるかたちで展示することで、创业当初の意思を忘れずに事业に取り组めることから、记念馆の役割の大きさを感じることもできた。
佐々木 聡 専任教授