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テーマ「暴力」

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フランスメディアで语られる他者?暴力(高马京子 准教授)

なぜ日本人の手がけたファッションについて言及する际に暴力表现が使われたのか
メディア、特にデジタルメディアが発展するなかで、私たちは「自分で见る前に、知る」という机会が多くなっています。つまり、メディアを通して他者を知ることが増えています。しかしそれは必ずしも现実とは限らず、大きな乖离があることもあります。

こうした状况の中で、私たちがどのように见る目を养っていくべきかということも含め、「フランスメディアで语られる他者?暴力」というテーマについて言叶という视点で考えていきたいと思います。

1980年代、川久保玲や山本耀司といった日本人ファッションデザイナーが、フランスのパリコレクションで提案した作品は、ヨーロッパの伝统的なファッションとは全く异なるものでした。これは日本现象と呼ばれましたが、通常ファッションを语る言叶としては使われることのない、「核による大惨事の生き残り」「イエローぺリル(黄祸)」さらには「爱のないヒロシマ」などという、フランスのファッションジャーナリストの言叶がフランスの新闻で绍介されました。一方、日本では、「日本人の攻撃」という言叶が引用として使われたものの、成功した、注目されたと评価されました。

戦后のフランスは、エレガントをキーワードにしたファッションスタイルで、多くの布を使い、女性らしいということで、クリスチャンディオールが创作した「ロングフレアスカート」が流行しました。そしてこうした女性らしさがフランスのファッションとして世界に広がりました。

しかしなぜ、日本のファッションに対して、被害者という意味で、受动的な暴力という意味となる「ヒロシマ」という表现が使われなければならなかったのか。これがフランスの新闻で绍介された际、こうした暴力は何の関係もないファッションについて、フランス人読者が、日本と関连付けながら、自分自身でそうした暴力的な言叶がなぜファッションの説明として使われているのかを読み解くということを、ジャーナリストは前提としていたと思われます。
共通认识をとおして理解される暴力とファッション
 辞书に载っている言叶ではなく、ある时代やある社会という特定の文脉の中で条件づけられて使われた言叶を「言説」とここでは呼びますが、「侵略」や「ヒロシマ」という言叶が、1980年代のフランスにおいて言説として使われたと考えるのであれば、侵略は1980年代の日本の経済侵略やジャパンバッシング、またフランス人が共通知识として持っているかつての日露戦争での胜利などがあげられます。またヒロシマという言叶は、世界的には原爆投下を唤起するものとして认识されていることを前提に使用されています。

 つまり、先ほどの「爱のないヒロシマ」という言説について考えてみると、以下のような理解になるのではないでしょうか。このデザイナーは日本人である。日本は被爆国で、暴力を受けた国である。そして、このデザイナーは、私たちとは违う日本人だからこそ、原爆の生き残りのような穴の开いたドレスをつくったのだろうと。しかしそれは事実ではありません。読者たちに自分たちがもっている日本に関する共有知识を使って论理的に纳得させるためのいわゆるロジック(ロゴス)ということになります。

 アリストテレスが、弁论术のなかで本当らしいものを信じさせる根拠として、感情(パトス)、话し手のイメージ(エトス)、そして言叶(论理、ロゴス)を挙げています。
 
また、ウォルター?リップマンというジャーナリストは、ステレオタイプは、ひとつの叙述を现実へと媒介するコンセンサスの取れたイメージであると言っています。また、こうしたステレオタイプは、社会生活に必须なものであり、それなしでは、诸个人は现実を理解することも、分类することも、现実に働きかけることも不可能であるとしています。

 つまり、フランス社会で根付いていた日本に関する暴力というステレオタイプを用いることで、当时のフランスでは考えられなかった穴あきドレスのファッションをなぜ日本人デザイナーがフランスのファッションショーで提案しているのかを理解させようという流れになっているのです。
日本と関係のないところで再生产される日本の暴力というイメージ
 1961年に『ル?モンド』という新闻で「カミカゼ」という言叶が使われました。これまでこの言叶は、日本の文化を表象する际に使われるものでしたが、2016年の滨厂のテロ行為がフランスで発生した际、カミカゼという言叶が使われました。また、来るフランス大统领选挙を前に、左系の政党が大统领选に向かって準备しているさまを「カミカゼモード」という言叶で表现しています。このように、日本の関係ないところで、カミカゼという言叶が使われる际、フランス人読者に、ああ、あの日本の攻撃のことを比喩的にもじっているのだと理解させようとするわけです。このように日本とは関係のなくとも、何かの攻撃が起こると、カミカゼという言叶がよく使われ、そのため、日本と関係のないところで、日本の暴力というイメージが再生产されていくと言えます。

 风刺画などを使って批判し、フランス革命で教会や王室を倒した国ということもあり、アメリカや日本とはそもそも言论の自由の考え方が违うといわれています。また、「距离の法则」もあり、ホロコーストに関してはメディアでの言及に配虑されるのに対し、日本に関しては、「ヒロシマ?ナガサキ」と平気で言えてしまう。そしてそれは日本に限らずアジアに対してもいえることなのかもしれません。こうしたコンテクストこそが、コロナ祸でアジアに対して言及する际に暴力的な表现が用いられる背景となっているという面もあるのではないでしょうか。