文学部纪要
「文芸研究」総目次(第61号?第70号)
第70号(1993年9月20日) 在庫僅少
大野 顺一 | 诗と死と実存─日本文芸思潮史ノート?その1─ |
永藤 靖 | 祭と神话のコンテクスト─花祭?霜月祭の异界について─ |
日向 一雅 | 『后撰集新抄』翻刻(11) |
下出 积与(监修) 比护 隆界 宇佐美 正利 栗林 史子 桜田 和子 瀧音 能之 柳町 时敏 |
『训註 扶桑略记』(2) |
佐藤 雅代 | 藤原基俊の表现意识─歌枕を中心にして─ |
须山 静夫 | ハーマン?メルヴィル『クラレル─圣地における诗と巡礼』翻訳(その7) |
萩原 芳子 | 『セザレ』またはデュラスとラシーヌを隔てるもの |
第69号(1993年2月28日) 在庫僅少
羽矢 谦一 | ?诗人?の破壊─イェイツの诗?1919年?─ |
冈崎 康一 | やぶ医者のフォークロア(その3)─颈苍肠辞苍肠濒耻蝉颈惫别なものにむけて─ |
志田 均 | 暴力?时间?货币─『骨董屋』序论─ |
浜田 库司 | 『船乗りビリー?バッド』におけるコトバの问题─ビリーの一撃をめぐって─ |
叁苫 佳子 | 稽古习道と天女舞─『二曲叁体人形図』の成り立ちをめぐって─ |
野毛 孝彦 | 唐木顺叁─中世への道─ |
永藤 靖 | 『日本霊异记』における货币の机能─共同体の外から来るもの─ |
下出 积与(监修) 比护 隆界 宇佐美 正利 栗林 史子 桜田 和子 瀧音 能之 柳町 时敏 |
『训註 扶桑略记』(1) |
佐藤 雅代 | ?すさび?考─歌ことばとしての侧面─ |
黒崎 峰孝 | 川端康成と中村光夫 |
中山 和子 | 植民地末期の朝鲜文坛と日本语文学(1) |
权 寧珉 王 泰雄 訳 |
越北文人をどう见るべきか |
Yoshiko Hagiwara | Andromaque ou la nouvelle poetique de la couleur |
玉井 崇夫 | フロベールの罗列癖または琐末主义の意味 |
第68号(1992年7月10日) 在庫僅少
永藤 靖 | 古代文学に现れた南?北の世界像─近江の海と熊野の山─ |
柳泽 干夫 | 谷崎润一郎の心的机构论序説─『秘密』─ |
冈崎 康一 | やぶ医者のフォークロア─近世イギリスの民间医疗师に笑いの原点を求めて(その2)─ |
须山 静夫 | ハーマン?メルヴィル『クラレル─圣地における诗と巡礼』翻訳(その6) |
亀山 照夫 | ハウエルズとニューイングランド気质 |
武田 清 | モノドラマ?生の演剧化─エヴレイノフの演剧思想について(2)─ |
立野 正裕 | 书评 デモクラシーの原イメージを求めて─大正演剧研究会编『大正の演剧と都市』を読む─ |
第67号(1992年2月28日) 在庫僅少
叁轮 秀彦 | 形而上学小説の系谱(Ⅱ) |
武田 清 | 治疗文化としての演剧─エヴレイノフの演剧思想について(一)─ |
羽矢 谦一 | ディラン?トマス─新しい诗への自覚─ |
野毛 孝彦 | 芭蕉─?乞食の翁?─(3) |
池田 功 | 石川啄木における朝鲜 |
佐藤 义雄 | 屈託からの反噬─井伏鱒二の戦后文学?覚え书─ |
中野 叁敏 | 绍介 山东京伝年谱稿─水野先生の京伝研究─ |
沼沢 和子 | 书评 宫越勉着『志贺直哉─青春の构図─』 |
岩井 宪幸 | 『オストロミール福音书』1056?57の闯1.1および1.2に用いられている前置词&濒迟;翱迟产&驳迟;と&濒迟;翱测&驳迟;について |
木村 佳恵 | バイロンの英雄:その诞生と理想追求の失败─『邪宗徒』を中心にして─ |
大崎 ふみ子 | ?若いグッドマン?ブラウン?─罪の意识のアレゴリー─ |
牧野 有道 山西 治男 浜田 库司 訳 |
?帝国?から?帝国?へ─メルヴィルの『船乗りビリー?バッド』论─ |
神品 芳夫 | エドゥアルト?フォン?カイザーリングの人と作品─バルト贵族の残照─ |
第66号(1991年9月28日) 在庫僅少
冈崎 康一 | やぶ医者のフォークロア─近世イギリスの民间医疗师に笑いの原点を求めて(その一)─ |
佐藤 正纪 | 一九〇四年?ベルリン─クレイグとオットー?ブラーム─ |
松井 明子 | 生きた演剧空间としての宫廷仮面剧(1) |
和嶋 忠司 | ギリシア悲剧におけるコロスとミュートスの関係 |
永藤 靖 | 『常陆国风土记』の蛇神?雷神 |
玉井 崇夫 | 『纯な心』─镇魂歌の童话 |
Yoshiko Hagiwara | Racine du style a la rhetorique |
第65号(1991年2月28日) 在庫僅少
永藤 靖 | 神功皇后伝承の一考察─国家幻想としての他界と母性─ |
野毛 孝彦 | 芭蕉─乞食の翁—(2) |
武田 比吕男 | 大伴家持の?祈雨歌?小考 |
须山 静夫 | ハーマン?メルヴィル『クラレル─圣地における诗と巡礼』翻訳(その五) |
武田 清 | クレイグとスタニスラフスキー─『俳优と超人形』と『俳优と剧场の伦理』をめぐって─ |
上田 博 | 书评 小川武敏『石川啄木』を読む |
佐藤 义雄 | 书评 本多秋五着『志贺直哉』 |
岩井 宪幸 | 『コンスタンティノス一代记』および『メトディオス一代记』に引用された诗篇の语句について─『レオの圣书』との比较を通して─ |
石田 明夫 | 『ヴァニナ?ヴァニニ』试论─异次元移动の仕组み─ |
瀬仓 正克 | 诗人と幼年期─ボオドレエルの子供観─ |
第64号(1990年9月28日) 在庫僅少
平野 仁启 | 海佐知毘古?山佐知毘古の神话の构造と机能─庶民の神话の王権神话への変容─ |
永藤 靖 | 青柴垣神事?诸手船神事の宇宙─海と山の祭祀空间─ |
原 道生 | 二つの『石桥山しちきおち』─その原拠との関连─ |
小川 武敏 | 泉镜花『薬草取』试论 |
菅本 康之 | 花田清辉の家族论 |
铃木 浩 | 接続助词?し?の成立 |
武田 清 | スタニスラフスキー试论 |
瀬仓 正克 | ボオドレエルと二元论の问题 |
第63号(1990年2月28日) 在庫僅少
叁轮 秀彦 | 形而上学小説の系谱(滨) |
永藤 靖 | 记纪神话における伊势神宫の机能 |
冈部 隆志 | 『浮云』论─&濒迟;终わり&驳迟;の不在─ |
汤浅 博雄 | 础?J?グレマス着 田岛宏?鸟居正文訳『构造意味论』─きれぎれの感想─ |
玉井 崇夫 | 『ボヴァリー夫人』のChronologieの問題─Jacques SEEBACHERの《解読》─ |
原岛 恒夫 | ボードレール?破れ鐘?について |
根岸 纯 | 『ライン河』について─1840年の旅行を主轴として─ |
樱井 泰 | 魂の导者?ヘルメース─『ヴェニスに死す』の场合─ |
岩井 宪幸 | 『オストロミール福音书』の滨苍肠颈辫颈迟─その种类と特徴をめぐって─ |
第62号(1990年1月31日) 在庫僅少
立野 正裕 | 偽装する精神─文学のゼロ地点─ |
须山 静夫 | ハーマン?メルヴィル『クラレル─圣地における诗と巡礼』翻訳(その四) |
野毛 孝彦 | 芭蕉─乞食の翁—(1) |
永藤 靖 | 晩年の唐木顺叁─野蛮と文明の位相─ |
森 一郎 | 书评 铃木一雄氏着『物语文学を歩く』 |
牧野 有通 訳 | ジェイムズ?础?マクファーソン?アメリカン?アイデンティティをめぐって? |
第61号(1989年3月31日) 在庫僅少
河原 忠彦 | モーペルテュイの?言语论?を読む |
吉田 正彦 | 男はみんな狼よ─赤头巾をめぐる叁匹の狼─ |
川合 高信 | ケルトの圣なるやどり木─M?プルーストと比喩─ |
永藤 靖 | 『出云国风土记』と空间意识─国引き神话の意味するもの─ |
亀山 照夫 | 収敛から拡散への构図─ハロルド?フレデリックの『セロン?ウエアの破灭』─ |
须山 静夫 | ハーマン?メルヴィル『クラレル─圣地における诗と巡礼』翻訳(その叁) |
永田 靖 | 『インドリックとメレンダの剧』と18世纪前半ロシアの素人剧団 |
井川 恵理 | 伝承歌謡の現代における変容─フィールドノート I北海油田の歌 ‘Men o’Worth’─ |