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「骏台史学」総目次(第91号?第100号)

「骏台史学」総目次(第91号?第100号)

第91号(1994年3月)
論 説 海野福寿 1905年「第二次日韩协约」 1-  32
論 説 高田幸男 近代中国地域社会と教育会—无锡教育会の役员构成分析を中心に— 35-  73
論 説 梅沢重昭 「毛野」形成期の地域相—前方后方坟及び周沟墓の分布を中心に— 76-129
書 評 中野隆生 ルイ?シュヴァリエ着(喜安朗,木下贤一,相良匡俊訳)『労働阶级と危険な阶级』(みすず书房,1993) 133-140
研究
ノート
长冈 显 スペインにおけるSocial Economy (1)-(34)
第92号(1994年10月)
論 説 原田一良 高丽翼军の成立—部队単位「军翼」への照明— 1-  31
論 説 梅沢重昭 毛野の周沟墓と前方后方形周沟墓 34-  79
書 評 塚本 学 原田信夫着『歴史のなかの米と肉—食物と天皇?差别』(平凡社,1993) 82-  89
書 評 寺内威太郎 神田信男着『満学五十年』(刀水书房,1992) 90-  94
論 説 富田矩正 第一次东ドイツ植民と北西スラヴ人诸侯 (1)-(31)
論 説 小川洋一 埼玉県の水需要と农业水利再编 (33)-(70)
文献目録 吉村武彦 日本古代の金石文に関する文献目録稿 (73)-(111)
第93号(1995年1月)特集 葬送の社会史—墓から何が見えるか—
巻头言 松崎つね子 特集にあたって 1-    2
論 説 松崎つね子 墓葬より见た中国古代社会—新石器から前汉武帝まで— 3-  25
論 説 马场恵二 古代ギリシアの戦没者国葬と私人墓 28-  99
論 説 小杉 康 縄文时代后半期における大规模配石记念物の成立—「葬墓祭制」の构造と机能— 101-148
論 説 门前博之 日本近世における葬制—下総国猿岛郡山?沓掛両村にみる— 150-181
論 説 千叶德尔 両墓制の时空间的展开 183-194
第94号(1995年3月)
論 説 堀 敏一 可马迁の歴史思想 1-  22
論 説 安井教浩 ローマン?ドモフスキにおける民族と国家 24-  56
論 説 小杉 康 土器型式と土器様式 58-129
研究
ノート
山田 朗 日本の败戦と大本営命令 132-167
書 評 布山和男 堀 敏一著『中国と古代東アジア世界—中華的世界と諸民族—』(岩波書店,1993) 169-174
論 説 古贺正则 インドの环境政策 (1)-(26)
第95号(1995年10月)
論 説 鎌仓佐保 伊势神宫の神郡支配の构造と特质—平安末期の神叁郡を中心として— 1-  31
論 説 石黒ひさ子 曾侯乙墓出土竹简についての一考察 34-  64
論 説 新井 悟 だ龙镜の编年と原镜の同定 67-102
研究
ノート
东海林隆夫 东京都小平市?东久留米市付近における地形改変の推定—新?旧版の1万分の1地形図を利用した研究例— (1)-(25)
書 評 横山启一 栗原优着『第二次世界大戦の勃発』(名古屋大学出版会,1994)永岑叁千辉着『ドイツ第叁帝国のソ连占领政策と民众1941-1942』(同文馆出版,1994) (28)- (52)
第96号(1996年1月)特集 朝鮮前近代の対外関係と対外認識
論 説 林 泉 高句丽における仏教受容と平壌—肖门?伊弗兰寺の位置をめぐって— 1-  24
論 説 布山和男 新罗文武王五年の会盟にみる新罗?唐関係 27-  59
論 説 寺内威太郎 十七世纪前半の朝中関係の一齣—第二次瀋狱を中心に— 61-  81
論 説 文 纯実 十八世纪朝鲜における対外意识の変化について—特に华夷観を中心に— 83-114
論 説 叁好千春 燕行使のロシア认识 117-144
書 評 小川原宏幸 海野 福寿編『日韓協約と韓国併合—朝鮮植民地支配の合法性を問う』(明石書店,1995) 147-155
第97号(1996年3月)
論 説 长沼秀明 寺岛外交と法権回復问题 1-  27
論 説 气贺泽保规 唐法门寺咸通十四年(八七叁)舎利供养をめぐる一考察—あわせて法门寺「真身誌文」碑の検讨 29-  79
研究
ノート
高岛緑雄
小国浩寿
葛生雄二
元亨四年「萨摩国日置北郷下地中分絵図」の现地调査—中分线?地头所?领家政所?寺薗?下司薗— 82-115
書 評 高田馨里 河村哲司着『パックス?アメリカーナの形成—アメリカ「戦时経済システム」の分析』(东洋経済新报社,1995) 116-123
論 説 须贺博子 縄文士器における精製?粗製深鉢成立过程の地域差と共通性—縄文时代后期前半の関东南部を中心に— (1)- (52)
論 説 川口太郎 都市住民の日常生活空间—外出活动の基本特性と平日の生活活动— (54)-(86)
学会动向 林 义胜 アメリカ外交史学界の最近の动向 (88)-(100)
第98号(1996年9月)
論 説 平野 満 天保期の本草研究会「赭鞭会」—前史と成立事情および活动の実态— 1-  45
論 説 松冈 弘 北魏汉化政策の一考察 —皇太子恂の反乱— 49-  80
論 説 青山治郎 明代正徳朝の京営について—特に所谓东西官庁军の実态について— 83-118
論 説 秋山千恵 第一次世界大戦前ドイツの技术中等教育をめぐる诸问题 (1)-(44)
論 説 岛田和高 移动生活のなかの石器作りの営み—砂川型刃器技法の再検讨— (47)-(74)
研究
ノート
中野守久
増渕和夫
杉原重夫
武蔵野台地东部(本郷台)における石神井川の流路変迁 (77)-(93)
研究
ノート
坂本かおり 东京都保谷市「新川洼地」の成因に関する考察 (95)-(106)
第99号(1996年12月)西洋史特集 同化とアイデンティティ
論 説 阪东 宏 ロシアとポーランドの学生运动をめぐるポーランド社会主义者の论争—1890年代— (1)-(41)
論 説 叁宅 立 ドイツ帝国海军士官ハンス?パーシェのアフリカ体験 (45)-(69)
論 説 大川胜康 ドイツを爱したユダヤ人—ユダヤ教徒ドイツ国民中央协会のシオニストに対する态度に関する一考察— (71)-(103)
論 説 古山夕城 タソスのアテナイびいき (105)-(136)
論 説 那须千鹤 移民のエスニシティとアメリカ社会—アンジア?イージアスカの文化的多元主义への模索— (139)-(170)
第100号(1997年3月)100号记念号
骏台史学会の歩み 木村 础 草創期の骏台史学会 1-    5
骏台史学会の歩み 高岛緑雄 『骏台史学』と日本史学専攻 6-  11
骏台史学会の歩み 神田信夫 『骏台史学』の創刊された頃 12-  17
骏台史学会の歩み 堀 敏一 思い出すこと、思いつくことなど 18-  22
骏台史学会の歩み 斎藤絅子 骏台史学会の「自己点検」 23-  29
骏台史学会の歩み 大塚初重 考古学専攻の歩み 30-  38
骏台史学会の歩み 石井素介 《骏台地理学》の学风形成期を想う—冈山俊雄?渡辺操両先生のことなど— 39-  48
研究
ノート
海野福寿 朝鲜测図事业と朝鲜民众 49-  81
論 説 永田雄叁 后期オスマン帝国の徴税请负制に関する若干の考察
—地方名士の権力基盘としての侧面を中心に—
(75)-(108)
論 説 佐藤清隆 近世イングランド都市の居酒屋政策—レスター市の场合— (111)-(144)
論 説 安蒜政雄 旧石器时代の集団—南関东の移动生业集団と石器製作者集団— (147)-(171)
論 説 川口太郎 移动経歴からみた郊外住民の多様性—埼玉県越谷市における高齢者を事例として— (173)-(209)