第4回 尝叠骋罢をめぐるジェンダー表象/构筑
2017年11月30日(木)実施
讲师:砂川秀树氏
文化人類学者/博士(学術)。明治学院大学国際平和研究所研究員、 多摩大学非常勤講師。専門は文化人類学、ゲイコミュニティー研究。 単著に『新宿二丁目の文化人類学: ゲイコミュニティーから都市を まなざす』(太郎次郎社エディタス、2015年)がある。27年間にわたり、HIVやLGBTに関するコミュニティ活動にも従事。
コメンテーター:田亀源五郎氏
漫画作家。同性婚をテーマに扱った『弟の夫』は、第19回(2015年)文化庁メディア芸术祭マンガ部门优秀赏を受赏。そのフランス语版は、第44回(2016年)アングレーム国际漫画祭にて优秀赏にノミネートされるなど、国内外から评価を受ける。
報告:高馬京子(明治大学情报コミュニケーション学部准教授)
2017年度第4回定例研究会「LGBTをめぐるジェンダー表象」を、講師に砂川秀樹さん、コメンテーターに田亀源五郎さんをお招きし、11月30日に来場者83名を迎え開催した。文化人類学者/博士(学術)、明治学院大学国際平和研究所研究員、 多摩大学非常勤講師である砂川秀樹さんのご専門は、文化人類学、ゲイコミュニティー研究で、 単著に『新宿二丁目の文化人類学: ゲイコミュニティーから都市をまなざす』(太郎次郎社エディタス、2015年)がある。27年間にわたり、HIVやLGBTに関するコミュニティ活動にも従事されている研究者であられる。また、コメンテーターの漫画作家である田亀源五郎さんは、長くゲイの世界を漫画に描いてこられたが、近年、同性婚をテーマに扱った作品『弟の夫』第19回(2015年)文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞されている。そのフランス語版は、第44回(2016年)アングレーム国際漫画祭にて優秀賞にノミネートされるなど、国内外から評価を受けておられる。
砂川さんの今回のご讲演のご主旨は、2010年代に入りマスコミを通して広く流通し、関心をもたれるようになった尝骋叠罢という言叶が、尝(レズビアン)/骋(ゲイ)/叠(バイセクシュアル)/罢(トランスジェンダー)という様々な属性を持つ人々がひとくくりにされることになっているという现状に端を発している。はじめに、この现状を踏まえ、ひとくくりにされることによる「当事者」と経験のずれ、また、元来、権利运动などの支援活动で使われてきた言叶とする尝骋叠罢と异なるコミュニティを生きる尝/骋/叠/罢を协働に导く前提として存在する、不可分なものとして络み合うジェンダーとセクシュアリティーの问题を整理された。
砂川さんの今回のご讲演のご主旨は、2010年代に入りマスコミを通して広く流通し、関心をもたれるようになった尝骋叠罢という言叶が、尝(レズビアン)/骋(ゲイ)/叠(バイセクシュアル)/罢(トランスジェンダー)という様々な属性を持つ人々がひとくくりにされることになっているという现状に端を発している。はじめに、この现状を踏まえ、ひとくくりにされることによる「当事者」と経験のずれ、また、元来、権利运动などの支援活动で使われてきた言叶とする尝骋叠罢と异なるコミュニティを生きる尝/骋/叠/罢を协働に导く前提として存在する、不可分なものとして络み合うジェンダーとセクシュアリティーの问题を整理された。
また、特に最も大きなコミュニティとネットワークを形成してきたゲイのジェンダー表象と构筑について、ドラァグクィーンやゴーゴーボーイなどのクラブイベント、ゲイバーでの「オネェ」、音楽サークル、雑誌、マンガにおいて多様なイメージがせめぎあいながら表象/构筑されるジェンダー像について考察を提示された。第2部ではそれらを受けて、実际にマンガの中でゲイを描いてこられた田亀源五郎さんと砂川さんとの対谈を开催した。田亀さんが国内外で作品を提示された时の绍介され方の违い、また、表象と现実の违いなど、田亀さんのご着书『ゲイカルチャーの未来へ』(笔ヴァイン 2017年)などでも书かれておられる视点も讨论に盛り込んで顶きながら、お二人に尝骋叠罢の表象について讨论していただいた。また会场との议论の际には、来场されていたトランスジェンダー研究の叁桥顺子さんからも贵重なコメントを顶き、盛会のうちに终了した。
学部生、大学院生、研究者、尝骋叠罢当事者の方など様々な立场から尝骋叠罢に関心を持つ人に来场顶いたが、开催后のアンケート结果でも、全ての回答が、とてもよかった、よかった、であった。具体的には、「社会で话题になるものの、トピックとして尝骋叠罢は取り上げづらく、とても贵重な话を闻けた」「尝骋叠罢をめぐる现状から具体例を交えた考察まで非常に参考になった」「田亀先生の他者に対する『正しさ』ではなく、『诚実さ』という言叶が印象的であった」「お二人の対谈をもっと闻きたい」など様々な意见、感想が寄せられた。
今回の研究会をきっかけに、登坛者二人が议论された「将来像に梦が持てる社会」「多数派が自分に関係ないとして切り捨てるのではなく、皆がお互いを尊重できる社会を実现するにはどうすればよいのか」をどう考えていくのか、多様性、そして「社会的ジェンダー规范」をどう捉えていけばよいのか考えるきっかけとなった。今后もさらに同问题について検讨していく研究会を実施していければと思う。
学部生、大学院生、研究者、尝骋叠罢当事者の方など様々な立场から尝骋叠罢に関心を持つ人に来场顶いたが、开催后のアンケート结果でも、全ての回答が、とてもよかった、よかった、であった。具体的には、「社会で话题になるものの、トピックとして尝骋叠罢は取り上げづらく、とても贵重な话を闻けた」「尝骋叠罢をめぐる现状から具体例を交えた考察まで非常に参考になった」「田亀先生の他者に対する『正しさ』ではなく、『诚実さ』という言叶が印象的であった」「お二人の対谈をもっと闻きたい」など様々な意见、感想が寄せられた。
今回の研究会をきっかけに、登坛者二人が议论された「将来像に梦が持てる社会」「多数派が自分に関係ないとして切り捨てるのではなく、皆がお互いを尊重できる社会を実现するにはどうすればよいのか」をどう考えていくのか、多様性、そして「社会的ジェンダー规范」をどう捉えていけばよいのか考えるきっかけとなった。今后もさらに同问题について検讨していく研究会を実施していければと思う。
第3回 『主妇の友』にみる日本型恋爱イデオロギーの固有性と変容
2017年10月27日(金)実施
讲师:大塚明子氏(文教大学人间科学部准教授)
専门は社会学。近代日本社会における宗教?家族?マスメディアを含む大众文化などを通じて研究する。主な着书?论文は、「サブカルチャー神话解体~少女?音楽?マンガ?性の30年とコミュニケーションの现在~」(共着、パルコ出版)、「新语死语流行语」(注解、集英社新书)など。
报告:出口刚司(东京大学大学院人文社会系研究科准教授)
第3回定例研究会は「『主妇の友』にみる日本型恋爱イデオロギーの固有性と変容」というタイトルで、文教大学人间科学部の大塚明子氏にご讲演をお愿いした。大塚氏は、近代家族の歴史社会学的研究の専门家であると同时に、『サブカルチャー神话解体』(ちくま文库)の共着者であり、若者文化?サブカルチャーの研究でも知られる着名な社会学者である。今回は东京大学に提出された博士论文をもとに、近代家族とロマンティック?ラブに関する氏の研究の一部をご绍介いただいた。
今回分析対象となった雑誌『主妇の友』は、创刊时より下层中产阶级の主妇に多くの読者をもつ代表的な妇人総合雑誌であり、ジェンダー研究を中心に歴史学、歴史社会学において极めて重要かつ频繁に利用される资料でもある。大塚氏はその中でもとくに、创刊时から高度経済成长期までを対象とし、「日本型ロマンティック?ラブ」の析出を行った。多くのジェンダー研究が指摘するように、ロマンティック?ラブは近代家族における男女関係を统制する规范として机能し、しばしば夫妇形成及び性别役割分业のイデオロギーとみなされてきた。大塚氏の今回のご讲演は、そうした欧米発のロマンティック?ラブを比较轴としつつ、その日本的形态の固有性と変容を実証的に明らかにしようとするものである。
まず大塚氏は、ルーマンらの先行研究に依拠しつつ、欧米型近代家族の基盘となるロマンティック?ラブそのものの特徴を「神秘的な牵引力」を起点とする「间人格的相互浸透」に整理する。ここでは、制御できない情热がもつ、ある种の神秘的な力が重视され、しかも互いに唯一无二のパートナーだけに向かう个别志向の中で、「真の自己」がまじりあう相互浸透の体験が强调される。氏は、こうした欧米型のロマンティック?ラブと比较対照しつつ、先の『主妇の友』を素材として(1)戦前期から1940年代、(2)1950~1960年代という二つの时期に登场する言説分析を行う。
今回分析対象となった雑誌『主妇の友』は、创刊时より下层中产阶级の主妇に多くの読者をもつ代表的な妇人総合雑誌であり、ジェンダー研究を中心に歴史学、歴史社会学において极めて重要かつ频繁に利用される资料でもある。大塚氏はその中でもとくに、创刊时から高度経済成长期までを対象とし、「日本型ロマンティック?ラブ」の析出を行った。多くのジェンダー研究が指摘するように、ロマンティック?ラブは近代家族における男女関係を统制する规范として机能し、しばしば夫妇形成及び性别役割分业のイデオロギーとみなされてきた。大塚氏の今回のご讲演は、そうした欧米発のロマンティック?ラブを比较轴としつつ、その日本的形态の固有性と変容を実証的に明らかにしようとするものである。
まず大塚氏は、ルーマンらの先行研究に依拠しつつ、欧米型近代家族の基盘となるロマンティック?ラブそのものの特徴を「神秘的な牵引力」を起点とする「间人格的相互浸透」に整理する。ここでは、制御できない情热がもつ、ある种の神秘的な力が重视され、しかも互いに唯一无二のパートナーだけに向かう个别志向の中で、「真の自己」がまじりあう相互浸透の体験が强调される。氏は、こうした欧米型のロマンティック?ラブと比较対照しつつ、先の『主妇の友』を素材として(1)戦前期から1940年代、(2)1950~1960年代という二つの时期に登场する言説分析を行う。
まず(1)の「戦前期から1940年代」は、いわゆる「国家社会」が社会全体の至上価値を占め、国家社会の基盘として(个人や夫妇関係よりも)「家族」そのものが重视された。大塚氏はこの时期の両性関係の特徴を欧米のロマンティック?ラブと比较して以下の叁点にまとめている。
①非合理的な情热(神秘的な牵引力)ではなく、精神主义的で医师的なアクションを理想とする爱情観が支配的であった。妻が高贵な人格をもつ夫に精神的に同化することが理想とされた。
②「ただ一人の」というパートナーに対する个别的な志向性がなく、普遍主义的な「高洁な人格」を理想として掲げることによって、どのような相手でも夫妇の関係が维持されうると説かれた。
③人格の相互浸透や亲密なコミュニケーションという要请は少なく、男性の扶养者としての役割が强调される。さらに同化という発想に见られるように、いわゆる「以心伝心」的な人间関係が理想とされた。
ところが、戦争と戦后の混乱が収束しはじめる(2)の时期に入ると、戦前期において社会全体の至高価値とされていた「国家社会」に代わり、「幸福」の価値が重视されるようになる。また夫妇関係の対等化も大きく前进した。それとともに、同関係のあり方も前时代(戦前期から1940年代)から大きく変化する。氏は(1)と同様にそれらの特徴を以下の叁点に整理する。
①理想主义的?人格主义的に理解されてきた爱も、性爱的な色彩を强く帯び始め、本格的な「セックスの时代」を迎えていく。「爱から性へ」という移行が积极的に语られるようになる。大塚氏の指摘では、欧米における20世纪型ロマンティック?ラブの浸透が観察されるという。
②しかしその一方で、欧米社会に见られた个别志向性は依然として弱い。爱についての见方も「ただ一人の」という意识は弱く、性的?官能的な情热としてとらえられ、究极的なむなしさが强调される。氏によれば、こうした爱情観の背景に「色」や「无情」といった伝统文化の影响が见られるという。
③夫妇间の紧密なコミュニケーションという要请は欠落し、男性の扶养者としての役割も强く意识されていた。
大塚氏が行ったこれらの比较から、欧米型のロマンティック?ラブは日本における夫妇関係の言説に浸透し、一定の変化を生み出しつつも、个别志向の欠如や、男女平等化の一方で扶养者としての男性役割が前面に出るなど、日本的特殊性を色浓く反映するものであったといえるだろう。氏はさらに、高度経済成长期に妻たちが「爱に生きる女」という新しいアイデンティティを追求し、それが「よろめき」の告白手记として纸面上に氾滥する様子を绍介している。そして1960年代にはいると、妻たちは「爱に生きる女」でも主妇?妻?母役割でもない第叁の个别的な私の「生きがい」を追求するものの、中断再就职の推奨という良妻贤母主义の枠から出ることはなかったと指摘する。
以上が研究会の概要であるが、今回のご报告から、日本型近代家族に関する研究がさらに蓄积される一方、ロマンティック?ラブが社会の他の価値、たとえば「国家社会」、个人の「幸福」(个人の生き方)の追求といった価値と深くかかわっていることが示され、ジェンダー研究だけではくみ尽くせない歴史的な社会意识の一端を顾みることができたように思う。
①非合理的な情热(神秘的な牵引力)ではなく、精神主义的で医师的なアクションを理想とする爱情観が支配的であった。妻が高贵な人格をもつ夫に精神的に同化することが理想とされた。
②「ただ一人の」というパートナーに対する个别的な志向性がなく、普遍主义的な「高洁な人格」を理想として掲げることによって、どのような相手でも夫妇の関係が维持されうると説かれた。
③人格の相互浸透や亲密なコミュニケーションという要请は少なく、男性の扶养者としての役割が强调される。さらに同化という発想に见られるように、いわゆる「以心伝心」的な人间関係が理想とされた。
ところが、戦争と戦后の混乱が収束しはじめる(2)の时期に入ると、戦前期において社会全体の至高価値とされていた「国家社会」に代わり、「幸福」の価値が重视されるようになる。また夫妇関係の対等化も大きく前进した。それとともに、同関係のあり方も前时代(戦前期から1940年代)から大きく変化する。氏は(1)と同様にそれらの特徴を以下の叁点に整理する。
①理想主义的?人格主义的に理解されてきた爱も、性爱的な色彩を强く帯び始め、本格的な「セックスの时代」を迎えていく。「爱から性へ」という移行が积极的に语られるようになる。大塚氏の指摘では、欧米における20世纪型ロマンティック?ラブの浸透が観察されるという。
②しかしその一方で、欧米社会に见られた个别志向性は依然として弱い。爱についての见方も「ただ一人の」という意识は弱く、性的?官能的な情热としてとらえられ、究极的なむなしさが强调される。氏によれば、こうした爱情観の背景に「色」や「无情」といった伝统文化の影响が见られるという。
③夫妇间の紧密なコミュニケーションという要请は欠落し、男性の扶养者としての役割も强く意识されていた。
大塚氏が行ったこれらの比较から、欧米型のロマンティック?ラブは日本における夫妇関係の言説に浸透し、一定の変化を生み出しつつも、个别志向の欠如や、男女平等化の一方で扶养者としての男性役割が前面に出るなど、日本的特殊性を色浓く反映するものであったといえるだろう。氏はさらに、高度経済成长期に妻たちが「爱に生きる女」という新しいアイデンティティを追求し、それが「よろめき」の告白手记として纸面上に氾滥する様子を绍介している。そして1960年代にはいると、妻たちは「爱に生きる女」でも主妇?妻?母役割でもない第叁の个别的な私の「生きがい」を追求するものの、中断再就职の推奨という良妻贤母主义の枠から出ることはなかったと指摘する。
以上が研究会の概要であるが、今回のご报告から、日本型近代家族に関する研究がさらに蓄积される一方、ロマンティック?ラブが社会の他の価値、たとえば「国家社会」、个人の「幸福」(个人の生き方)の追求といった価値と深くかかわっていることが示され、ジェンダー研究だけではくみ尽くせない歴史的な社会意识の一端を顾みることができたように思う。
第2回 スポーツ?メガイベントの政治学
2017年7月7日(金)実施
讲师:ヘザー?サイクス氏(トロント大学オンタリオ教育学研究所准教授)
トロント大学オンタリオ教育学研究所准教授。スポーツとクイア理論、ファットフォビア、植民地主義問題についての斬新でラディカルな研究を行っている。著書に“Queer Bodies: Sexualities, Genders & Fatness in Physical Education” (2011年、Peter Lang)、“The Sexual and Gender Politics of Sport Mega-Events: Roving Colonialism” (2017年、Routledge)等がある。
报告:高峰修(明治大学政治経済学部教授)
2017年7月7日(金)にトロント大学のヘザー?サイクス博士をお招きし、第2回定例研究会「スポーツ?メガイベントの政治学:反植民地主义の観点から」を开催した。
サイクス氏がこのテーマに取り组み始めたきっかけは、2010年にカナダのトロントで开催された骋20(首脳会议)とプライドパレードにある。それらのイベントで起こったプロテスト运动における経験の蓄积が、バンクーバーにおける冬季オリンピックとどう関わっているのかが、サイクス氏の问题意识であったという。以下に讲演の概要をまとめる。
本讲演のテーマに関わる概念として“植民地性”があるが、これは军事的占领と领土への植民を通して一国が他国を支配することを意味する植民地主义が、いかに今日の私たちにも影响を与え続けているかを描き出す概念である。この概念は、オリンピックのようなスポーツ?メガイベントにおける重层的な権力のあり方を分析するのに有用である。そしてスポーツ?メガイベントにおける性の问题を植民地主义との関係の中で検讨する际には、ゲイとレズビアンが既存の体制に包摂される际に「谁が利益を得て、谁が伤つけられているのか」を问わなければならないのである。
サイクス氏がこのテーマに取り组み始めたきっかけは、2010年にカナダのトロントで开催された骋20(首脳会议)とプライドパレードにある。それらのイベントで起こったプロテスト运动における経験の蓄积が、バンクーバーにおける冬季オリンピックとどう関わっているのかが、サイクス氏の问题意识であったという。以下に讲演の概要をまとめる。
本讲演のテーマに関わる概念として“植民地性”があるが、これは军事的占领と领土への植民を通して一国が他国を支配することを意味する植民地主义が、いかに今日の私たちにも影响を与え続けているかを描き出す概念である。この概念は、オリンピックのようなスポーツ?メガイベントにおける重层的な権力のあり方を分析するのに有用である。そしてスポーツ?メガイベントにおける性の问题を植民地主义との関係の中で検讨する际には、ゲイとレズビアンが既存の体制に包摂される际に「谁が利益を得て、谁が伤つけられているのか」を问わなければならないのである。
さらにサイクス氏は次の2点について確認する。一つは「オリンピックは帝国として機能する」ということ。2年ごとに夏季大会と冬季大会が開催されるオリンピックは、ビジネスと軍事力を組み合わせた形でその影響力を開催都市に及ぼす。そのやり方は非領土的かつ可動的であり、その影響力は一時的ではあるが、開催都市への負の影響は深く長期に渡るのである。二つ目は「ホモナショナルなポリティクスは、シングルイシュー(single issue)から離れていかなければならない」ということである。LGBTのポリティクスはそれだけにフォーカスしたシングルイシューとしてではなく、反植民地主義という観点も含め他の問題と連帯して闘っていく必要がある。
こうした理论的背景を元にサイクス氏は以下の4つの具体的事象について検讨していく。一つ目は2010年バンクーバー冬季オリンピックである。この大会では尝骋叠罢パビリオンである“プライドハウス”が设置されたが、その一方で欧米人から土地を夺われ続けている先住民たちが大会から排除されたという。この例は、ゲイやレズビアンをめぐる政治をシングルイシューとして扱うことによって植民地主义的问题が不可视化されたことを示している。
二つ目の例は、2015年にトロントで開かれたパンアメリカン競技大会でのことである。この大会でもプライドハウスが組織されたが、CIBC(Canadian Imperial Bank of Commerce、名称にImperialが入っている)銀行が主要スポンサーであったが故に、バンクーバーのそれよりも企業的であった。プライドハウス内に“政策と支持(Policy and Advocacy)に関するワーキンググループがあり、そこで行われたカフェ?シリーズでは、競技大会が開かれる土地が先住民のものであることに関する議論が行われた。これは、反植民地主義についてのクイアな会話をスタートさせた瞬間であった。
2005年にパレスチナの市民グループがイスラエルのパレスチナ占领に抗议してボイコットし、投资の撤収と制裁(叠顿厂)を呼びかけ、叠顿厂は今やグローバルな连帯运动となった。スポーツの中では未だ初期段阶にある叠顿厂の例が第叁の例となる。2014年に开かれたスーパーボウルのハーフタイムの非常に高额なテレビ広告権をイスラエルのソーダストリームが购入した。しかしソーダストリームの主要な工场がパレスチナ内のイスラエルの违法入植地にあったため、アメリカのクイア活动家たちがサンフランシスコでソーダストリームの不买运动を呼びかけ、ストリートパフォーマンスを演じたのである。こうしたパフォーマンスは、スポーツに関わってクイアとパレスチナ人が连帯した稀な例である。
サイクス氏が绍介した四つ目の例は、2016年のオリンピック开催国であるブラジルとイスラエルの関係についてである。リオでのオリンピック开催が决まった直后、イスラエルの大统领はブラジルに国の代表団を送り、ドローンの売买と军事训练に関わる契约を交わした。イスラエルのある民営セキュリティ会社によれば、それはリオ大会における独占的セキュリティ担当に関する22亿ドル(约2400亿円)にものぼる契约だったという。
以上の例にみられるように、スポーツ?メガイベントにおいては植民地化が进行しているのだが、ゲイやレズビアンの一部はこれらのスポーツ?メガイベントの军事化された新自由主义の要请を支持することによって包摂されたのである。こうしたホモナショナリズムが近年のスポーツ?メガイベントにおいて表れている。そこではスポーツ?メガイベントと植民地性/近代性とのリンクを解くことだが必要だが、尝骋叠罢活动家にとってそれは简単なことではなく、そのためにはローカルな活动が必要である。东京2020や平昌オリンピックに関连して性と反植民地主义、连帯がどのように进行しうるか、日本とアジアのスポーツ活动家や研究者たちと考えたい。
讲演后の质疑応答においては、「近年の国内における尝骋叠罢の知识の広まりやインクルージョンをどう受け止めればよいか」、「オリンピックムーブメントにおいて排除されている人たち(尝骋叠罢やネイティブたち)との连帯に焦点を当てることによって、オリンピックそのものがもつ包摂しつつも再规范化、再排除という面が见えなくなるのではないか」といった质问が出されたが、サイクス氏はいずれも真挚に丁寧に考えを述べられ、予定よりも20分延长して讲演は终了した。
オリンピックをその“植民地性”から捉えることから始まった本讲演と、东京2020をめぐる国内における议论との隔たりはあまりにも大きいと感じた。しかしそれが故にも、ジェンダーセンターの定例研究会としてサイクス氏の讲演が実现したことの意义もまた、非常に大きなものであるといえるだろう。そしてスポーツは、ジェンダーがシングルイシューとしてではなく他の问题群と交差しながら立ち上る场であることを再确认させられた讲演であった。こうした议论が国内においても継続し発展することを期待したい。
二つ目の例は、2015年にトロントで開かれたパンアメリカン競技大会でのことである。この大会でもプライドハウスが組織されたが、CIBC(Canadian Imperial Bank of Commerce、名称にImperialが入っている)銀行が主要スポンサーであったが故に、バンクーバーのそれよりも企業的であった。プライドハウス内に“政策と支持(Policy and Advocacy)に関するワーキンググループがあり、そこで行われたカフェ?シリーズでは、競技大会が開かれる土地が先住民のものであることに関する議論が行われた。これは、反植民地主義についてのクイアな会話をスタートさせた瞬間であった。
2005年にパレスチナの市民グループがイスラエルのパレスチナ占领に抗议してボイコットし、投资の撤収と制裁(叠顿厂)を呼びかけ、叠顿厂は今やグローバルな连帯运动となった。スポーツの中では未だ初期段阶にある叠顿厂の例が第叁の例となる。2014年に开かれたスーパーボウルのハーフタイムの非常に高额なテレビ広告権をイスラエルのソーダストリームが购入した。しかしソーダストリームの主要な工场がパレスチナ内のイスラエルの违法入植地にあったため、アメリカのクイア活动家たちがサンフランシスコでソーダストリームの不买运动を呼びかけ、ストリートパフォーマンスを演じたのである。こうしたパフォーマンスは、スポーツに関わってクイアとパレスチナ人が连帯した稀な例である。
サイクス氏が绍介した四つ目の例は、2016年のオリンピック开催国であるブラジルとイスラエルの関係についてである。リオでのオリンピック开催が决まった直后、イスラエルの大统领はブラジルに国の代表団を送り、ドローンの売买と军事训练に関わる契约を交わした。イスラエルのある民営セキュリティ会社によれば、それはリオ大会における独占的セキュリティ担当に関する22亿ドル(约2400亿円)にものぼる契约だったという。
以上の例にみられるように、スポーツ?メガイベントにおいては植民地化が进行しているのだが、ゲイやレズビアンの一部はこれらのスポーツ?メガイベントの军事化された新自由主义の要请を支持することによって包摂されたのである。こうしたホモナショナリズムが近年のスポーツ?メガイベントにおいて表れている。そこではスポーツ?メガイベントと植民地性/近代性とのリンクを解くことだが必要だが、尝骋叠罢活动家にとってそれは简単なことではなく、そのためにはローカルな活动が必要である。东京2020や平昌オリンピックに関连して性と反植民地主义、连帯がどのように进行しうるか、日本とアジアのスポーツ活动家や研究者たちと考えたい。
讲演后の质疑応答においては、「近年の国内における尝骋叠罢の知识の広まりやインクルージョンをどう受け止めればよいか」、「オリンピックムーブメントにおいて排除されている人たち(尝骋叠罢やネイティブたち)との连帯に焦点を当てることによって、オリンピックそのものがもつ包摂しつつも再规范化、再排除という面が见えなくなるのではないか」といった质问が出されたが、サイクス氏はいずれも真挚に丁寧に考えを述べられ、予定よりも20分延长して讲演は终了した。
オリンピックをその“植民地性”から捉えることから始まった本讲演と、东京2020をめぐる国内における议论との隔たりはあまりにも大きいと感じた。しかしそれが故にも、ジェンダーセンターの定例研究会としてサイクス氏の讲演が実现したことの意义もまた、非常に大きなものであるといえるだろう。そしてスポーツは、ジェンダーがシングルイシューとしてではなく他の问题群と交差しながら立ち上る场であることを再确认させられた讲演であった。こうした议论が国内においても継続し発展することを期待したい。
第1回 インターセクショナリティ、言语、ジェンダー移行—在英スペイン人トランス男性のライフストーリー
2017年6月8日(木)実施
讲师:ジョン?グレイ氏(ロンドン大学鲍颁尝)
ロンドン大学(ユニヴァーシティ?カレッジ?ロンドン、UCL)教育学研究所文化?コミュニケーション?メディア学科准教授(Reader)。専門は、言語教育学、応用言語学、言語とジェンダー?セクシュアリティ研究。主著に、Neoliberalism and Applied Linguistics (共著, Routledge, 2012), Critical Perspectives on Language Teaching Materials (編著, PalgraveMacmillan, 2013), Intersectionality, Language and Queer Lives, a special issue of Gender and Language (2018刊行予定)等、多数。
报告:水仓亮(立命馆アジア太平洋大学言语教育センター非常勤讲师)
日本で初めて渋谷区で同性婚が认められるようになり、社会の中でも尝骋叠罢に対する意识が以前よりも高まって来たように思う。本研究会の中でも取り上げられたが、日本人のトランスジェンダーの政治家の事例がイギリスの新闻で报道されるなど、国内?国际社会の中でトランスの人々の存在が公の场でも见られるようになった。しかし、依然として社会においては比较的新しい部类に入る事柄であり、研究も进んでいるとは言えない。したがって、今回の报告は大変贵重であり、またトランスジェンダーの人々の复雑なアイデンティティをスペイン语の言语学的视点を利用して分析した本研究は非常に珍しいものであったと言える。
今回の発表者であるJohn Gray氏は応用言語学の分野で活躍されており、英語教育だけでなく言語と社会の関係を文化的そして政治的に研究されている。本研究会での発表は「クィアーのESOL?ESOLの教室内でのLGBT問題の文化的政治に対して」というセミナーの中で行われた研究である。イギリスの経済社会研究委員会から資金的補助を受けていた研究プロジェクトであり、氏はこのセミナーの代表を務められた。
氏によると、本研究はルーカス(仮名)に対して8回に渡って行われた一连のインタビューの分析によるものである。ルーカスはロンドンで暮らすスペイン人トランス男性であり、以前はマリア(仮名)という名で、ブッチと呼ばれる男性的なレズビアン?アイデンティティを持っていた。现在は心疗内科医として成功しているが、10代から20代にかけて薬物?アルコール中毒になり、非常に困难な人生を歩んできた。特にトランス男性というジェンダーに出会うまでは、ブッチのレズビアンというアイデンティティが自己认识と合致せず、彼は长い间葛藤してきた。氏は、ルーカスのジェンダー移行のプロセスの中で揺れ动く自己认识をスペイン语文法のジェンダーのシステムを利用して分析された。
今回の発表者であるJohn Gray氏は応用言語学の分野で活躍されており、英語教育だけでなく言語と社会の関係を文化的そして政治的に研究されている。本研究会での発表は「クィアーのESOL?ESOLの教室内でのLGBT問題の文化的政治に対して」というセミナーの中で行われた研究である。イギリスの経済社会研究委員会から資金的補助を受けていた研究プロジェクトであり、氏はこのセミナーの代表を務められた。
氏によると、本研究はルーカス(仮名)に対して8回に渡って行われた一连のインタビューの分析によるものである。ルーカスはロンドンで暮らすスペイン人トランス男性であり、以前はマリア(仮名)という名で、ブッチと呼ばれる男性的なレズビアン?アイデンティティを持っていた。现在は心疗内科医として成功しているが、10代から20代にかけて薬物?アルコール中毒になり、非常に困难な人生を歩んできた。特にトランス男性というジェンダーに出会うまでは、ブッチのレズビアンというアイデンティティが自己认识と合致せず、彼は长い间葛藤してきた。氏は、ルーカスのジェンダー移行のプロセスの中で揺れ动く自己认识をスペイン语文法のジェンダーのシステムを利用して分析された。
スペイン語は名詞、前置詞、形容詞、冠詞がジェンダーや数で区別されており、形容詞を使って自分自身を説明するときには、話し手は自身のジェンダーにしたがって使い分けなければならない。例えば男性として「私は疲れた」と言いたいならば、‘estoy cansado’、一方で女性として言いたいのであれば‘estoy cansada’と言わなければならない。すなわち、語尾が男性の場合は‘o’、女性の場合は‘a’となる。例えば、ルーカスはインタビューの中で、レズビアンであった自分を‘lesbiana’と女性形で表し、男性ではある今の自分との違いを表すことでレズビアンという性に対する拒絶を示した。逆に、トランス男性の性に対する安心感を‘un alivio’と明確に示した。
氏によると、今回の研究はルーカスの自己认识の変化を彼のアイデンティティを表す文法的ジェンダーの使い分けによって确认できるところにあった。またそれだけでなく、こうした分析を可能にするためにインターセクショナリティ及びエンプロトメントという概念が大きな役割を果たしたと言える。すなわち、インターセクショナリティはトランスとして生きる人々の経験の复雑性に焦点を当てることを可能にし、またエンプロトメントはとりとめのない调査対象者の语ったナラティブを一连の连続した物语へとつなぎ合わせることを可能にした。调査対象者によって语られたナラティブはアイデンティティを多様な社会现象として言语化、记号化するという立场から、この分野に対する研究手法として非常に有効であり、今后のジェンダー研究及び応用言语学に対して大変有益な示唆であった。
氏によると、今回の研究はルーカスの自己认识の変化を彼のアイデンティティを表す文法的ジェンダーの使い分けによって确认できるところにあった。またそれだけでなく、こうした分析を可能にするためにインターセクショナリティ及びエンプロトメントという概念が大きな役割を果たしたと言える。すなわち、インターセクショナリティはトランスとして生きる人々の経験の复雑性に焦点を当てることを可能にし、またエンプロトメントはとりとめのない调査対象者の语ったナラティブを一连の连続した物语へとつなぎ合わせることを可能にした。调査対象者によって语られたナラティブはアイデンティティを多様な社会现象として言语化、记号化するという立场から、この分野に対する研究手法として非常に有効であり、今后のジェンダー研究及び応用言语学に対して大変有益な示唆であった。