第1回 ファッションとアイデンティティ——ジェンダーやルッキズムの问题を考える
2022年1月18日(火)実施
讲师:芦田裕史氏
コメンテーター:田中东子氏
&苍产蝉辫;1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士课程修了。政治学博士。现在,大妻女子大学文学部教授および东京大学情报学环客员教授。専门は,メディア文化论,フェミニズム,カルチュラル?スタディーズ。着书に『メディア文化とジェンダーの政治学-第叁波フェミニズムの视点から』(世界思想社,2012年),编着や共着に『ガールズ?メディア?スタディーズ』(共编着,北树出版,2021年),など
報 告:髙馬 京子(明治大学情报コミュニケーション学部准教授)
今回,コロナ祸が始まって约2年ぶりに开催できたジェンダーセンターの研究会である。研究会としては初めてのオンライン开催となったが参加登録してくださった方々は,一般の方も含めて170名余り,そして実际には100名近い参加者とともに开催することができた。
ジェンダー?アイデンティティの构筑においてファッションは重要な一装置といえる。
ファッションとジェンダー?アイデンティティ构筑について考える际に「ルッキズム」の问题が昨今より议论されるようになってきた(『现代思想』2021年11月号ルッキズム特集)。
そこで明治大学情报コミュニケーション学部ジェンダーセンター 2021年度第一回定例研究会として,「ファッションとアイデンティティ——ジェンダーやルッキズムの問題を考える」と題して,ファッションとアイデンティティの関係を通して,ジェンダー,ルッキズムの問題についてどうアプローチするかファッション研究者である蘆田裕史氏(京都精華大学准教授/副学長),またコメンテーターには上記『現代思想』でもメディア文化とルッキズムの関係について執筆された(メディア文化論,カルチュラル?スタディーズ,フェミニズム)田中東子氏(大妻女子大学教授)をお迎えし議論した。
まず芦田氏の讲演は,(1)ファッションについて考えること,(2)ファッションとはなにか,(3)ファッションと言语,(4)ファッションとアイデンティティ,(5)ファッションとジェンダー,(6)ファッションとルッキズムと6つのパートから成り立ち,それぞれ事例をあげながら,以下のようにファッションについてことばで定义された。
(1)ファッションについて考えること,においては,「社会経済,心理,生活,ジェンダー,文化,アイデンティティなど,さまざまな事象に関わるものであり,かつ私たちの谁もがファッションから逃れることができない。」という前提のもと「ファッションには兴味がない」はありえないと指摘する。(2)ファッションとはなにか,について,衣服そのもの(=モノ),服装(=着用者の実践),流行(=社会における现れ)と定义している。
そして(3)ファッションと言语においては,ロラン?バルトを引用しながら,ラング:文法など外侧から规定されているもの(例:日本语),スティル:个人の身体や环境から生まれるもの(例:话し方),エクリチュール:ある社会的集団に认知された「型」を分类し,ファッションにも様々なエクリチュールが存在するとしている。また,(4)ファッションとアイデンティティについては,アーヴィング?ゴフマンの『行為と演技』,平野启一郎『私とは何か——「个人」から「分人」へ』,R?顿?レイン『自己と他者』を引用しながら,厂狈厂と分人主义として本当の自分は存在するのか,という问いをたて,厂狈厂以前は,アイデンティティを表现するためにもっとも効率の良いツールが服装であったのに対し,厂狈厂以降は服装に頼らずとも,自分の生活や趣味嗜好を见せることができるようになったとする。
上记(1)から(4)までに行ったファッションとアイデンティティの定义を基とし,(5)としてファッションとジェンダーについて论を展开した。そこでは,男女が身に着ける色としてピンクとブルーの例とその変容などを提示し,衣服にこめられた意味は変容することを提示しつつ,ことばと异なり,服装は明日からでもすぐに変えられるものとして示唆した。そして(6)ジェンダーとルッキズムについて,外见による(というかあらゆる)差别は悪としたうえで,外见は(少なくとも)叁层(身体,服装?髪型?化粧(→ファッション),表情)に分け,「外见で判断すること」は必ずしも悪とは言えないとした。それは,アイデンティティの成立には承认が必要であるからと指摘する。ホネットによる「爱→好き嫌い,人権尊重→评価からも判断からも独立,业绩评価→良し悪し」という承认の分类を提示しながら,「あの人は见た目がよい」と思うとき,见た目の「良し悪し」について评価しているのではなく,実际には単なる「好き嫌い」についての判断であると指摘する。すなわち,「良い外见」は存在せず(単に多くの人が「好き」なだけ)好き嫌いを评価に持ち込むことは悪ではないかと问いをたてた。そして,ルッキズムについて议论する际に,前述の存在する3つの外见についてきちんと分けて议论すること,そして,好き嫌い/评価判断を分けて议论する必要性を强调した。
これに対して,コメンテーターの田中东子氏は①ファッションの持つ解放/规范という侧面について②ピエール?ブルデューを引用しながら,好き嫌い/よしあしは単纯に分けられないのではないか③第2波フェミニズムを経て,第3波フェミニズムにおいてエリート女性たちが努力して外见をよくすることが彼女たちの能力主义とリンクしているのでは,というコメント,问いを提示した。それに対して,芦田氏は①ファッションは「悪い意味」で軽いと考えられていて権力,他者から介入されてもいいと思われていることが问题であり,制服のような管理というのは,身体の介入と同様许されるべきではないのではないかとした。②については,田中氏が指摘するところの西洋?白人?男性によってつくられてきた问い返すべき客観性,という意味での「客観性」と主観性とに分けて,好き嫌い/よしあし,は分けられるのに分けてこなかったことが问题ではないかと指摘した。そして③メリトクラシーはよくない,とした上で,まとめでは,芦田氏は,ファッションは定义されていないからこそ概念を问い直すこともできるし,また今回のようにジェンダーやルッキズムという问题を问い直すこともできると述べ,また,田中氏はファッションの軽薄さによってこそ,ラディカルさに加担し规范を揺さぶり,言叶なくしてショックを与えることができるのではないかとまとめた。
ファッション研究者である芦田氏,フェミニズム研究者としての田中氏との议论のおかげで,アイデンティティ形成の际に重要な役割を担う一つの手段としてのファッションという切り口からジェンダーをめぐる诸问题,特に,规范,ルッキズムを中心にいろいろと考えるきっかけとなった。
コーディネーターとしても,ファッションは,社会において,规范となりつつも,その时代の规范を乗り越えようとチャレンジしてきたものであり,昨今では,ジェンダー,国境,年齢など様々な境界を乗り越えることで多様性を希求しているということ,そして,规范を乗り越えこの多様なファッションがメディアなどで语られることでこの多様性すらも规范になっていくというループに陥るのではないか,自由と规范の违いとはなにかという问いをもちつつ,また,ファッションは消费主义の中で语られるものであり,自由はなく,その一种「规范」に追従せざるをえないものではないかという「あきらめ」の境地もあった。しかし,本会で议论されたように,ファッションの「軽さ」ゆえに,ラディカルにジェンダー规范を揺さぶることができ,また,定义されていないからこそ概念を问い直し,ジェンダーやルッキズムといった问题を问い直すこともできるという意味で,ジェンダー研究においてファッションを検讨することの重要性を再认识した会となった。
ジェンダー?アイデンティティの构筑においてファッションは重要な一装置といえる。
ファッションとジェンダー?アイデンティティ构筑について考える际に「ルッキズム」の问题が昨今より议论されるようになってきた(『现代思想』2021年11月号ルッキズム特集)。
そこで明治大学情报コミュニケーション学部ジェンダーセンター 2021年度第一回定例研究会として,「ファッションとアイデンティティ——ジェンダーやルッキズムの問題を考える」と題して,ファッションとアイデンティティの関係を通して,ジェンダー,ルッキズムの問題についてどうアプローチするかファッション研究者である蘆田裕史氏(京都精華大学准教授/副学長),またコメンテーターには上記『現代思想』でもメディア文化とルッキズムの関係について執筆された(メディア文化論,カルチュラル?スタディーズ,フェミニズム)田中東子氏(大妻女子大学教授)をお迎えし議論した。
まず芦田氏の讲演は,(1)ファッションについて考えること,(2)ファッションとはなにか,(3)ファッションと言语,(4)ファッションとアイデンティティ,(5)ファッションとジェンダー,(6)ファッションとルッキズムと6つのパートから成り立ち,それぞれ事例をあげながら,以下のようにファッションについてことばで定义された。
(1)ファッションについて考えること,においては,「社会経済,心理,生活,ジェンダー,文化,アイデンティティなど,さまざまな事象に関わるものであり,かつ私たちの谁もがファッションから逃れることができない。」という前提のもと「ファッションには兴味がない」はありえないと指摘する。(2)ファッションとはなにか,について,衣服そのもの(=モノ),服装(=着用者の実践),流行(=社会における现れ)と定义している。
そして(3)ファッションと言语においては,ロラン?バルトを引用しながら,ラング:文法など外侧から规定されているもの(例:日本语),スティル:个人の身体や环境から生まれるもの(例:话し方),エクリチュール:ある社会的集団に认知された「型」を分类し,ファッションにも様々なエクリチュールが存在するとしている。また,(4)ファッションとアイデンティティについては,アーヴィング?ゴフマンの『行為と演技』,平野启一郎『私とは何か——「个人」から「分人」へ』,R?顿?レイン『自己と他者』を引用しながら,厂狈厂と分人主义として本当の自分は存在するのか,という问いをたて,厂狈厂以前は,アイデンティティを表现するためにもっとも効率の良いツールが服装であったのに対し,厂狈厂以降は服装に頼らずとも,自分の生活や趣味嗜好を见せることができるようになったとする。
上记(1)から(4)までに行ったファッションとアイデンティティの定义を基とし,(5)としてファッションとジェンダーについて论を展开した。そこでは,男女が身に着ける色としてピンクとブルーの例とその変容などを提示し,衣服にこめられた意味は変容することを提示しつつ,ことばと异なり,服装は明日からでもすぐに変えられるものとして示唆した。そして(6)ジェンダーとルッキズムについて,外见による(というかあらゆる)差别は悪としたうえで,外见は(少なくとも)叁层(身体,服装?髪型?化粧(→ファッション),表情)に分け,「外见で判断すること」は必ずしも悪とは言えないとした。それは,アイデンティティの成立には承认が必要であるからと指摘する。ホネットによる「爱→好き嫌い,人権尊重→评価からも判断からも独立,业绩评価→良し悪し」という承认の分类を提示しながら,「あの人は见た目がよい」と思うとき,见た目の「良し悪し」について评価しているのではなく,実际には単なる「好き嫌い」についての判断であると指摘する。すなわち,「良い外见」は存在せず(単に多くの人が「好き」なだけ)好き嫌いを评価に持ち込むことは悪ではないかと问いをたてた。そして,ルッキズムについて议论する际に,前述の存在する3つの外见についてきちんと分けて议论すること,そして,好き嫌い/评価判断を分けて议论する必要性を强调した。
これに対して,コメンテーターの田中东子氏は①ファッションの持つ解放/规范という侧面について②ピエール?ブルデューを引用しながら,好き嫌い/よしあしは単纯に分けられないのではないか③第2波フェミニズムを経て,第3波フェミニズムにおいてエリート女性たちが努力して外见をよくすることが彼女たちの能力主义とリンクしているのでは,というコメント,问いを提示した。それに対して,芦田氏は①ファッションは「悪い意味」で軽いと考えられていて権力,他者から介入されてもいいと思われていることが问题であり,制服のような管理というのは,身体の介入と同様许されるべきではないのではないかとした。②については,田中氏が指摘するところの西洋?白人?男性によってつくられてきた问い返すべき客観性,という意味での「客観性」と主観性とに分けて,好き嫌い/よしあし,は分けられるのに分けてこなかったことが问题ではないかと指摘した。そして③メリトクラシーはよくない,とした上で,まとめでは,芦田氏は,ファッションは定义されていないからこそ概念を问い直すこともできるし,また今回のようにジェンダーやルッキズムという问题を问い直すこともできると述べ,また,田中氏はファッションの軽薄さによってこそ,ラディカルさに加担し规范を揺さぶり,言叶なくしてショックを与えることができるのではないかとまとめた。
ファッション研究者である芦田氏,フェミニズム研究者としての田中氏との议论のおかげで,アイデンティティ形成の际に重要な役割を担う一つの手段としてのファッションという切り口からジェンダーをめぐる诸问题,特に,规范,ルッキズムを中心にいろいろと考えるきっかけとなった。
コーディネーターとしても,ファッションは,社会において,规范となりつつも,その时代の规范を乗り越えようとチャレンジしてきたものであり,昨今では,ジェンダー,国境,年齢など様々な境界を乗り越えることで多様性を希求しているということ,そして,规范を乗り越えこの多様なファッションがメディアなどで语られることでこの多様性すらも规范になっていくというループに陥るのではないか,自由と规范の违いとはなにかという问いをもちつつ,また,ファッションは消费主义の中で语られるものであり,自由はなく,その一种「规范」に追従せざるをえないものではないかという「あきらめ」の境地もあった。しかし,本会で议论されたように,ファッションの「軽さ」ゆえに,ラディカルにジェンダー规范を揺さぶることができ,また,定义されていないからこそ概念を问い直し,ジェンダーやルッキズムといった问题を问い直すこともできるという意味で,ジェンダー研究においてファッションを検讨することの重要性を再认识した会となった。